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春 二

last update 게시일: 2026-05-28 10:37:07

「お呼びでしょうか?」

 貴晴たかなりが声を掛けると、

「お父様が貴方あなたに用があるそうですよ」

 母が言った。

 お父様というのは母の夫(貴晴の父)ではなく、母の父つまり貴晴の祖父のことである。

「なんの御用でしょうか?」

 貴晴は母に訊ねた。

「私に聞いてどうするのですか! 自分で聞きに行ってきなさい」

 それが嫌だから母上に聞いたのだが……。

 貴晴がなんと言って断ろうかと考えていると、

「もう随分ずいぶん長いことお祖父様じいさまに会ってないでしょう。ご機嫌うかがいに行ってきなさい」

 母が言った。

 会いたくないからこの二年間口実を作ってけていたのである。

「お祖父様の邸は方塞かたふたりで……」

「嘘おっしゃい!」

 母が一蹴いっしゅうする。

〝方塞《かたふた》り〟というのは〝方忌かたいみ〟ともいって行ってはいけない方角のことである。

 日によって違うのだが同じやしきに住んでいれば同じ方角なのだ。

「あ、そうそう! 今日は隆亮たかあきと約束があるんでした!」

「あの方の邸はそれこそ方塞りでしょう!」

 母が目をり上げる。

「待ち合わせてるのです。隆亮の……妻の邸で」

 貴晴はそう言うと母がそれ以上何か言う前に逃げ出した。

「お義母かあ様、紙を頂けますか?」

 織子しきこい物をしている義母に声を掛けた。

 着るものは機織はたおりから染色せんしょく仕立したてまで自宅で作る。

 だから良い妻の条件の一つは染色や縫い物が上手く、いい衣裳が作れることである。

 これは上級貴族でも同じで妻が夫の衣裳を仕立てるのだ。

 義母は手を止めると侍女じじょに紙を持ってくるように指示した。

 匡が出席する会に織子まで一緒に行くわけにはいかないためあらかじめ作った歌を紙に書き付けて匡に渡すのである。

 匡はそれを扇に貼り付けておいて必要な時に盗み見る。

 侍女が書き仕損じた紙を持ってくる。

 紙は貴重なので公式の文書や手紙以外は書き仕損じた紙の裏を使うのだ。

 紙を受け取った織子が庭に戻ろうとした時、

「織子様」

 義母が織子を呼び止めた。

「はい?」

 織子が振り返ると義母が側に控えていた侍女に合図をした。

 侍女が織子に冊子を差し出す。

「殿の伯母様から頂いたものです」

 義母が言った。

 殿――つまり義母の夫――の伯母ということは匡にとっては大伯母だが織子とは血縁関係はない。

「……お姉様に、ですよね?」

 織子が本を受け取って訊ねる。

 匡の大伯母が織子に贈ってくるわけがない。

 匡の本を織子が読むことはある。

 織子が読んで聞かせるのだ。

 匡が字が読めないのではなく、縫い物や手習いなど他の事をしながら物語を聞くためである。

「それは歌物語うたものがたりです」

「後で感想を教えて。大伯母様にお礼を申し上げるときの為に」

 義母と匡の言葉に織子は納得して頷いた。

 匡は歌物語があまり好みではない。

 だが貰った手前、感想を言わなければならないから教えろという事らしい。

 それに歌物語ということであれば歌の勉強にもなる。

 だから織子に読めという事だろう。

「分かりました」

 織子が本を受け取ると、

「今回は特に力を入れて頂戴ね」

 匡が言った。

 いい歌を作れという事らしい――春宮の気を引けるような。

 今上帝きんじょうてい――今の帝は十二年前に即位した。

 そして近いうちに今年十五歳の春宮に譲位じょういするという話が出ているらしい。

 春宮はついこの前、元服したばかりで妃がいない。

 元服というのは結婚相手が決まってからすることが多いが(特に皇族は)、春宮に冊立さくりつ(正式決定)されたのがつい最近だったこともあって妃が中々決まらなかったのだ。

 そのため貴族達は競って娘を春宮の妃にさせようとしているらしい。

 義母の夫は公卿くぎょう(上級貴族)なのだが匡を入内させる気があるのかないのか今のところはっきりしていないらしい。

 だが匡や義母は春宮妃になることを望んでいて春宮が来ると知ってなんとか気を引こうとしているのだ。

 春宮が内裏の外で見初みそめた女性を妃に迎える、というのはまずないのだが――。

 お手が着くことはあるがそんなのは珍しくないからそれだけでは妃にはなれないし、そもそも公卿達が認めなければ正式な妃にはなれない。

 女官として出仕することは可能だが。

 出仕した後に妃に格上げされることはあるが、それは外でお手が付いているかどうかは関係ない。

 帝や春宮の寵愛を受けられれば妃(女御にょうご更衣こうい)になれる。親の身分が高ければ(低かったら女官止まり)。

 仮に女官から妃になれたとしても父親が有力な後ろ盾になれなければ皇子が生まれても帝の跡継ぎにはなれない。

 最後にものを言うのは母方の実家なのだ。

 まぁ私には関係ないし……。

 織子は本を抱えると自分の部屋に向かった。

 本は貴重だから外に持ち出すわけにはいかない。

 読むなら室内でなければならない。

 明後日までに何首も歌を詠まなければならないから本を読んでいる暇はないのだが――。

 でも、歌物語なら歌の参考になるかもしれないし……。

 織子は自分にそう言い訳して部屋に戻ると本を開いた。

 牛車が止まったかと思うと、

「若様!」

 外から牛飼童うしかいわらわの切羽詰まった声が聞こえてきた。

「どうした!」

 貴晴が御簾を開けてみると周りを人相の悪い男達に囲まれている。

「盗賊か」

「若様、お逃げください!」

 牛飼童や供の者達が貴晴に声を掛ける。

「逃がすかよ!」

 取り囲んでいる男の一人が言った。

「だそうだ」

 貴晴は太刀を掴んで牛車から飛び降りた。

「若様!」

 由太が叱責するような声を上げる。

 貴晴はそれに構わず太刀を抜くと近くにいた男に斬り掛かった。

 由太や供の者達も続いて抜刀し、乱闘が始まる。

 男が刀を振り下ろす。

 貴晴が右足を引きたいを開くと男が目の前を通り過ぎる。

 その背を太刀の柄頭つかがしらく。

「うわわ!」

 押された男がよろけながら前に進む。

 それを待ち構えていた由太が斬り伏せる。

 別の男が棍棒こんぼうを横に振った。

 貴晴は身体を前に倒して棍棒をけると太刀を払う。

 太刀が男の脇腹をいた。

「ーーーーー!」

 腹を切り裂かれた男が血とはらわたをまき散らしながら転がる。

 目の隅に牛飼童に斬り掛かろうとしている男が映った。

 貴晴は扇を取り出すと男の顔に投げ付けた。

「うわ!」

 思わず顔を押さえた男を供の者が斬る。

 貴晴は太刀を構えたまま辺りを見回した。

「どうやらこれで全部のようです」

 由太が報告に来た。

「そうか、では帰るか」

 貴晴は太刀を下ろすと牛車に戻った。

 人を斬ってしまったのでは隆亮に会いに行くわけにはいかない。

 死というのは『けがれ』だからである。

 散位さんにつまり官職にいてない貴晴はともかく、隆亮や隆亮の父親はいている。

『穢れ』た状態で隆亮の邸に行っては隆亮が参内さんだい出来なくなってしまう。

 翌日――

あかつきに……」

 織子は地面に書いてからそれを消した。

「有明の……う~ん」

 織子はそれも消す。

 歌会は昼間だから明け方の歌は向いていないだろう。

 織子は空を見上げた。

 青空に白い月が浮かんでいる。

 風に飛ばされた桜の花びらが月を横切っていく。

 真昼の月……。

〝み吉野の み山の上の 月影に 桜の白き 色やうつらむ〟

「…………」

 歌会って吉野だったかしら……?

 織子は首を傾げた。

 まぁいいわ……。

 織子は紙に歌を書き付けてから『みよしのの』の隣に『春日山』『三輪の山』と書き添えた。

 場所に合わせて『みよしのの』の部分を言い換えればいいだろう。

 五文字の地名が近くになければ『みよしのの』のままでいい。

『吉野』は歌枕うたまくらだから『み山』と『みよしの』と『み』でいんを踏んだことにすれば会場の場所は関係ない。

 織子は次の歌に取りかかった。

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