로그인「お呼びでしょうか?」
お父様というのは母の夫(貴晴の父)ではなく、母の父つまり貴晴の祖父のことである。
「なんの御用でしょうか?」
貴晴は母に訊ねた。 「私に聞いてどうするのですか! 自分で聞きに行ってきなさい」それが嫌だから母上に聞いたのだが……。
貴晴がなんと言って断ろうかと考えていると、
「もう 会いたくないからこの二年間口実を作って
「お祖父様の邸は
〝方塞《かたふた》り〟というのは〝
「あ、そうそう! 今日は
「待ち合わせてるのです。隆亮の……妻の邸で」
貴晴はそう言うと母がそれ以上何か言う前に逃げ出した。 「お 義母は手を止めると
匡が出席する会に織子まで一緒に行くわけにはいかないため
侍女が書き仕損じた紙を持ってくる。
紙は貴重なので公式の文書や手紙以外は書き仕損じた紙の裏を使うのだ。紙を受け取った織子が庭に戻ろうとした時、
「織子様」 義母が織子を呼び止めた。「はい?」
織子が振り返ると義母が側に控えていた侍女に合図をした。 侍女が織子に冊子を差し出す。「殿の伯母様から頂いたものです」
義母が言った。 殿――つまり義母の夫――の伯母ということは匡にとっては大伯母だが織子とは血縁関係はない。「……お姉様に、ですよね?」
織子が本を受け取って訊ねる。 匡の大伯母が織子に贈ってくるわけがない。匡の本を織子が読むことはある。
織子が読んで聞かせるのだ。 匡が字が読めないのではなく、縫い物や手習いなど他の事をしながら物語を聞くためである。「それは
匡は歌物語があまり好みではない。
だが貰った手前、感想を言わなければならないから教えろという事らしい。それに歌物語ということであれば歌の勉強にもなる。
だから織子に読めという事だろう。「分かりました」
織子が本を受け取ると、 「今回は特に力を入れて頂戴ね」 匡が言った。 いい歌を作れという事らしい――春宮の気を引けるような。
元服というのは結婚相手が決まってからすることが多いが(特に皇族は)、春宮に
義母の夫は
春宮が内裏の外で
お手が着くことはあるがそんなのは珍しくないからそれだけでは妃にはなれないし、そもそも公卿達が認めなければ正式な妃にはなれない。
女官として出仕することは可能だが。出仕した後に妃に格上げされることはあるが、それは外でお手が付いているかどうかは関係ない。
帝や春宮の寵愛を受けられれば妃(仮に女官から妃になれたとしても父親が有力な後ろ盾になれなければ皇子が生まれても帝の跡継ぎにはなれない。
最後にものを言うのは母方の実家なのだ。まぁ私には関係ないし……。
織子は本を抱えると自分の部屋に向かった。
本は貴重だから外に持ち出すわけにはいかない。
読むなら室内でなければならない。明後日までに何首も歌を詠まなければならないから本を読んでいる暇はないのだが――。
でも、歌物語なら歌の参考になるかもしれないし……。
織子は自分にそう言い訳して部屋に戻ると本を開いた。
牛車が止まったかと思うと、 「若様!」 外から「どうした!」
貴晴が御簾を開けてみると周りを人相の悪い男達に囲まれている。 「盗賊か」 「若様、お逃げください!」 牛飼童や供の者達が貴晴に声を掛ける。「逃がすかよ!」
取り囲んでいる男の一人が言った。 「だそうだ」 貴晴は太刀を掴んで牛車から飛び降りた。「若様!」
由太が叱責するような声を上げる。貴晴はそれに構わず太刀を抜くと近くにいた男に斬り掛かった。
由太や供の者達も続いて抜刀し、乱闘が始まる。男が刀を振り下ろす。
貴晴が右足を引き「うわわ!」
押された男がよろけながら前に進む。 それを待ち構えていた由太が斬り伏せる。 別の男が
「ーーーーー!」
腹を切り裂かれた男が血と目の隅に牛飼童に斬り掛かろうとしている男が映った。
貴晴は扇を取り出すと男の顔に投げ付けた。「うわ!」
思わず顔を押さえた男を供の者が斬る。貴晴は太刀を構えたまま辺りを見回した。
「どうやらこれで全部のようです」
由太が報告に来た。 「そうか、では帰るか」 貴晴は太刀を下ろすと牛車に戻った。人を斬ってしまったのでは隆亮に会いに行くわけにはいかない。
死というのは『「有明の……う~ん」
織子はそれも消す。歌会は昼間だから明け方の歌は向いていないだろう。
織子は空を見上げた。青空に白い月が浮かんでいる。
風に飛ばされた桜の花びらが月を横切っていく。真昼の月……。
〝み吉野の み山の上の 月影に 桜の白き 色やうつらむ〟
「…………」
歌会って吉野だったかしら……?
織子は首を傾げた。
まぁいいわ……。
織子は紙に歌を書き付けてから『みよしのの』の隣に『春日山』『三輪の山』と書き添えた。
場所に合わせて『みよしのの』の部分を言い換えればいいだろう。 五文字の地名が近くになければ『みよしのの』のままでいい。 『吉野』は織子は次の歌に取りかかった。
〝躑躅花 匂へる君を 我想ひ 襲を涙で くれなゐに染む〟「今は秋だぞ」 隆亮が貴晴の机の上に置いてあった紙を見て言った。 「だから出してないだろ」 「そうか、じゃあ来年……」 「誰だか分からないんだ」 「え、管大納言の大姫じゃないのか?」 隆亮の問いに貴晴は以前会ったつつじの君の話をした。「他の姫に詠んだ歌を送るわけにはいかないだろ」 貴晴の言葉に、 「気付かれなきゃ大丈夫だろ」 隆亮が言った。「お前っ!? 他の姫に詠んだ歌を別の姫に贈ったことがあるのか!?」 「お前と一緒にするな」 「私は贈ってないぞ……まだ」 実は少し手直しして贈ろうか迷ったのは黙っていた。「私は必要もないのに歌を詠んだりしないんだよ」 「お前、ホントに出世する気ないんだな」 貴晴は呆れた。 以前も一緒に出家しようなどと言っていたが本気だったのか……? 歌が必要なのは恋愛だけではない。 明けましておめでとうも、誕生日おめでとうも、出産のお祝いも長寿のお祝いも旅立ちの見送りもお悔やみも、なんなら宴でも歌を詠むものなのだ。 嫌がらせをされて歌でやり込めたという話にも事欠かない。 それくらい歌はよく詠む。「しっかし、お前、全然女嫌いじゃないだろ。女嫌いなんてどっから出てきた」 隆亮が言った。 「女は信用ならない」 「男はなるとでも? 乳母子が忠実だなんてのは御伽話だぞ」 隆亮はそう言ってからいつも一緒にいる五郎を指した。「こいつは私の乳母子にしてはふけてると思ったことはないか?」 「おい、試されてるぞ」 貴晴が五郎に言った。 「私は乳母子ではありません」 五郎が否定する。 そうだったのか……。「二年前、お前と初めて会った時のことを覚えてるか?」 貴晴が隆亮に言った。
左右から男達が同時に斬り掛かってくる。 貴晴は左の男に向けて扇を投げ付けた。 顔面にもろに扇を受けた左の男が一瞬怯んで足が止まる。 その隙に右の男の方に踏み込むと片手だけで太刀を突き出す。 片手の分だけ伸びた切っ先が男の喉を斬った。 男が血を吹き出しながら倒れる。 貴晴は反転すると斬り掛かってきた左の男の振り下ろした刀を際どいところで避けて太刀を横に払う。 太刀の切っ先が男の腹を割く。「ーーーーー!」 男が叫びながら地面に転がる。 周囲で貴晴の郎党と男達の乱闘が始まっていた。 由太が郎党達を連れて駆け付けてきてくれたのだ。 そのとき、目の隅に由太に斬り掛かっていく男が見えた。 由太は目の前の敵を相手にするので手一杯だ。 貴晴は袖の飾りを引きちぎると敵に投げ付けた。 顔に飾りが当たった男が一瞬、怯む。 由太は目の前の男を斬り捨てると貴晴が飾りを投げ付けた敵の懐に飛び込み腹に太刀を突き立てた。 貴晴は背後に目をやって女性が無事なのを確かめた。 女性達と男達の様子を見る限り彼女達はどこからか連れてこられたようだ。 だとすると近くに群盗の塒があるのか……!? この連中が〝鬼〟にしろ別の群盗にしろ、塒を見付けられれば官位を上げてもらう理由になるはずだ。 官位が上がれば管大納言の大姫からの返事も……。 貴晴は、出来れば一人くらいは生け捕りにしたいと思いながらも機会が掴めないまま次々と賊を斬り捨てていった。 織子は下を向いて目を瞑りながら周りから聞こえてくる男の叫び声に手で耳を塞いでいた。 貴晴は際どいところで敵の刀を避ける。 切っ先が肩を掠めた。 袖が切れて手首の辺りまで落ちてくる。 狩衣の袖は肩の部分しか縫い付けられていないので、そこの糸が切れると落
「夕辺、随身として右大将の供で出掛けたんだ――」 そう言って説明してくれたところによると、隆亮は随身として右大将について出掛けたらしい。「そこを群盗に襲撃されたんだ」 隆亮が言った。 「右大将を狙ったのか?」 「いや、右大将が通ってる姫だ」 ちょうど群盗が邸に襲撃を掛けたところに右大将が到着したため戦闘になったらしい。「姫や右大将は無事だったのか?」 貴晴が訊ねると、 「随身が何人かケガ人したがな。それより、お前を呼んだのは逃げ遅れた群盗を捕まえたからなんだ」 隆亮が答えた。「ホントか!?」 「ああ。で、話によると内大臣の姫を狙ったのも、そいつららしいんだ」 「それで? 塒は聞き出せたのか?」 貴晴が訊ねた。 聞き出したのならとっくに検非違使が乗り込んで捕まえているかもしれない。 そうなると貴晴のする事はなくなる。 群盗は〝鬼〟の他にもいることはいるが――掃いて捨てるほど。「連中が言うには誰かに雇われたんじゃないらしい」 「嘘じゃないのか?」 邸に押し入るような連中が素直に話すとは思えない。「検非違使がそう言ってたんだ」 隆亮はそう言ってから貴晴が疑わしそうな表情をしているのを見て、 「検非違使っていうのは取り調べで拷問もするんだ」 と付け加えた。 「検非違使の拷問って相当だぞ。検非違使にならなくて良かったって思うくらいには……」 「そうなのか」 貴晴はようやく納得して頷いた。 貴族というと大人しくて気が弱いと思われがちだが実際はそうでもない。 内裏で掴み合いの乱闘をすることもあるくらいである。 当然、内裏の外では武器を振り回すこともある。 穢れを受けるとしばらく参内出来なくなるので殺しは郎党にやらせることが多いが。 貴晴も襲撃されたら普通に斬り殺すし、それは隆亮も同じである。 都というのは各地から食い詰め者が流れ込んで
「まぁ左大臣も姫を春宮の妃にしたいらしいし、管大納言の大姫も……」 隆亮はそこまで言って慌てて口を噤んだ。 そう言えばそうだった……。 帝の行幸の時、わざわざ帝や春宮に聞こえるところで歌を詠じたのだ。 大姫は妃になりたいと思っていると思って間違いないだろう。 貴晴は溜息を吐いた。「返事はまだ来ないのか?」 隆亮が訊ねる。 「ああ」 「ちゃんと花を付けたり良い紙を選んだりしてるか? 歌さえ贈ればいいって訳じゃないぞ」 「それは由太に叱られたから気を付けている。だが、それでも返事が来ないんだ」 貴晴はそう答えた。「念のために言っておくが返事が貰えたとしても夜を共にするまでは冷淡だからな。落ち込んで出家したりするなよ」 「するか」 とは答えたものの、念押ししてもらっていなければ、うっかりして出家してしまっていたかもしれない。 返事が貰えたらの話だけどな……。 官職の(書いて)ない従五位下では大納言の姫には相手にしてもらえそうにない。 やはり官位だけでももっと上げてからでなければ話にならないようだ。 とはいえ、何もしていないのに官位を上げてもらうのも難しいだろう。 もう少し郎党の人数を増やして捜索範囲を広げるしかないか……。 「藤が枝を 宿にせむとて ほととぎす 今はいずこで 汝は鳴くやと」 織子は歌を詠んで塀の方に目を向けた。 誰もいない。 文を届けに来てくれないと歌も伝えようがないのよね……。 織子が再び詠じようとした時、 「姫様、北の方様がお呼びです」 侍女が呼びに来た。「ありがとう」 織子はそう言ってからもう一度塀に視線を向ける。 戻ってくるまでの間に多田様のお使者が来ないといいけど……。 やはり使者に返歌を聞かせるというのは協力してくれる人がいないと難しそうだ。 織子は渋々北の対に
中納言というのは大納言のすぐ下である。 大納言の上にいるのが三人から五人なら中納言の上は大納言四人を加えて七人から九人。 摂政か関白がいたとしても十人程度なのだ。 数百人いるうちの十人以内というのは貴族の中ではほぼ頂点と言ってもいい(官位が高い者はもっといる)。 それだけ位の高い貴族(公卿)だから随身も付いているし、私的な警護も雇っていたはずだ。「どうやって警護の目を掻い潜って攫った?」 「数に任せて強引に邸に押し入ったそうだ」 「何!?」 貴晴は思わず声を上げた。 碌に警護もいない中級や下級貴族の狭い邸ならともかく、中納言の邸ならそれなりに広いはずだし警護の者達もいたはずだ。 金目の物ならまだしも人間を攫うのは簡単ではない。 広くて警護の多い上級貴族の邸から連れ出すとなると。 女性が目当てなら庶民を狙った方が手っ取り早い。 高貴な女性の方が美しいというのは日焼けしていないから肌の色が白いというのと化粧をしていたり着飾っていたりするからであって実際の美醜に身分は関係ないのだ。 わざわざ危険を冒してまで中納言の姫を攫ったところで手間に見合うだけのものは得られないと思うのだが……。「まぁ、そういうわけでまた卿がお呼びだ」 「分かった」 どうせ先に支度を言い付けてあっただろうから用意が出来ているはずだ。「で、さっきのは何通目だ?」 隆亮が牛車の中で訊ねてきた。 「三通目だ」 貴晴が答える。「もう!? 随分ご執心だな」 「返事も貰ってないのに執心も何もないだろ」 「まぁ、でもそれなら尚のこと早く〝鬼〟を捕まえないとな」 隆亮が言った。「ああ、早く出世しないと……」 「それもだが――」 隆亮が貴晴の言葉を遮る。「なんだ?」 「貴族の姫が二人も攫われてる」 隆
「貴晴、そわそわしてるようだが何かあったか?」 邸に訊ねてきた隆亮が言った。 「返事が来ないんだ」 貴晴が答える。「管大納言の大姫から?」 「誰に聞いた!?」 「歌にしか興味なかった男が文を贈る相手なんか歌が評判の姫しかいないだろ」 隆亮が突っ込む。 それはそうだ……。 隆亮の返事に貴晴は言葉に詰まった。「で、何回無視された?」 「初めてに決まってるだろ!」 「お前、ホントに女性に文を贈ったことなかったんだな。最初は返事が来ないんだよ」 隆亮にそう言われてようやく仕組みを思い出した。「一通目じゃ、きっと姫は見てもいないぞ」 隆亮が言った。 そういえばそうか……。「心配するのは三回以上贈ってからだ」 隆亮の言葉に、 「そうか……」 貴晴が心許ない思いで頷く。 何しろ貴晴はまだ従五位下だし父も出世の見込みのない木っ端役人だ。 下手したら三回どころか三十回贈っても返事は来ないかもしれない。「まぁ、そういうわけで――」 隆亮の言葉に、 「どういうわけだ」 貴晴が突っ込む。「お前を呼びに来た」 隆亮が言った。 「どこへ?」 貴晴が訊ねる。「内裏だ」 隆亮が答える。 「そういうことは先に言え!」 参内するなると衣冠束帯――正装でなければならない。 装束を用意するのも、それを着るのにも時間が掛かる。「若様、支度は出来ております」 どうやら貴晴のところに来る前に由太に支度をしておくように伝えてあったらしい。 隆亮と供に内裏へ向かう途中、牛車が止まったかと思うと向きが変わった。 御簾から覗いてみたが内裏に着いたわけではない。「どうした」 隆亮が牛飼童に訊ねる。 「あの道の先に死体があったそうです」 牛飼童が答える。